我思う、ゆえに我あり

 
「我思う、ゆえに我あり」

 デカルトの有名な言葉ですね。
 
  
 「思う」の意味は、
 
 心が頭に働くことで、深く考えること
 
 …という意味ですが、
 
 さて、デカルトは何を考えたのでしょうか。
 
 
 
 哲学者デカルトは、どんな真理が解明されても、
 
 「この世はすべて夢ではない」
 
 ということが、証明されないと、意味がないと思いました。
 
 
 何と、疑り深い人でしょうか。
 
 私なんか、この世はすべて夢であって欲しいと思うのですが…。
 
 さすが凡人と哲学者は、違いますなぁ。
 
 とにかく、彼は
 
 「この世は夢かもしれない」
 
 と、わざと疑ってみたそうです(方法的懐疑)
 
 
 すると、目の前の風景も、
 
 本に書いてあることも、
 
 数学も、
 
 自分の存在さえも
 
 疑わしくなりました。
 
 (そりゃあ、そうだよ…)
 
 
 けれども、たった一つだけ、疑うことができないものが残りました。
 
 それは、
 
 「この世は夢かもしれない」と、疑っている自分の「意識」でした。
 
 
 
 こうして、彼は、自分の意識の存在は疑いようのないことを発見し、
 
 このことを「我思う、ゆえに我あり」と、表現したのです。
 
 この言葉は、哲学の第一原理と呼ばれ、ここから近代哲学の幕が開かれました。
 
 うーん、デカルトはすごい!
 
 
 彼が何を言いたいのかは、全くわからないけど、どうでもいいことから、哲学の原理を発見するなんて。
 
 ただ者では、ないな。
 
 
 心理学的に言うと、「自分の意識がすべての現象を作っている」と言えそうです。
 
 ということは、意識を変えることができれば、私たちの周りに起きる出来事も、また変わってくる…ということになりますか。
 

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