私たちにはそれぞれ、適材適所がある


 来月で、仕事を辞めてから、ちょうど一年になります。

 現役の頃と、何が一番違うかというと、時間がゆったりと流れることです。

 (今、現役の人には申し訳ありませんが…)

 時間の流れをゆったりと感じるということは、気がゆるんで、怠けているということでしょうか…。

 怠けを経験して、怠けの効用と創造がわかったような気がします。

 今回は、そんな話です。
 
 

 グリム童話に、

 「ものぐさ三人むすこ」という話があります。
 

  ある国の王様が世継ぎを決めるにあたって、三人の息子に、

 「一番のものぐさ者に、わしの王位をゆずる」

 と言います。

 (なんで、一番のものぐさ者に王位をゆずるの?)    
 

 一番目の王子は王様に、

 「私は、水滴が目に飛び込んできた時でさえ、目を閉じるのが面倒である」

 と言いました。
 

 二番目の王子が王様に、

 「火にあたっている時に、足を引っ込めるのがめんどうで、踵に火傷をした方がましです」

 と言いました。
 

 三番目の王子が王様に、

 「首吊りの縄がかけられた時、手に持ったナイフで縄を切るために、手を持ち上げるなら首吊りされた方がましだ」

 と言いました。
 

 さあ、誰が王位をついたと思いますか?

 そうです、三番目の王子です。

 だって、一番のものぐさですから…。
 
 

 王様は、どうして一番のものぐさに、王位を継がせようと思ったのでしょうか。

 私なりの解釈は、

 王という者は、法を守り善悪を明確にするだけではなく、

 時にはすべてを受け入れる器が必要だ、ということです。
 

 ものぐさなことが、良いのか悪いのかということではなく、

 また、王という役職をもらえることが、良いのか悪いのかということでもなく、

 ただシンプルに、「人には適材適所というものがある」ということだと思うのです。

 あなたは、どう思われますか。
 
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました