「忠」
という漢字には、まごころ、まことをつくすこと、誠意をつくす、などの意味があり、
「自分の心を空しくして、人の為につくす」という由来からきているそうです。
私たちが「相手に忠告する」時は、「相手の間違いを正す」という意味で使いますが、
「忠」本来の意味からすると、
「忠告する」とは「心からいさめること」となります。
「相手の間違いを正す」ということは、そこに「教える」という行為がともなって、
教える側が上位にたってしまうことがあります。
「心からいさめる」ということは、私心や利害なく、「自分の心を空しくして」ということですから、
相手に「教える」というよりは「気づいて」もらう、といった感じでしょうか。
こう言っては失礼かもしれませんが、
教育熱心な学校の先生は、児童・生徒に「忠告」する(教える)ことが好きなようですね。
それに反して、カウンセラーはクライエント(相談者)に、「忠告」はしません。
ただ、クライエントの話を聴いて、「気づき」を促すだけです。
「気づき」は、自分で気づいたことですから、そこに「自己決定」と「自己責任」が伴い、
「自己変革」に結びつくと言われます。
「教わった」ことは、他人から教わったことなので、そこに「他者決定」と「他者責任」が伴い、
他人に「依存」することから、「自己変革」には結びつかないようです。
人から言われたことでは、私たちは成長しないのです。
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