むかしむかし、
ヒマラヤの山裾の小国に、ある王子が生まれました。
ある日、彼は
「生老病死」を目の当たりにして、
出家し菩提樹の下で悟りを開きました。
そうです、
釈迦(ブッダ)ですね。
彼が説いた教えの中に、
「令離諸著」(りょうりしょうじゃく)
という言葉があります。
この言葉の意味は、諸々の執着から離れることによって明らか(悟り)になる、ということでしょうか。
(お釈迦さま、間違っていたならゴメンなさい)
簡単に表現すると、
「諦めることによって明らかになる」
ということでしょうか…。
私は、「諦めることによって明らかになる」ことを、あるお母さんの姿から教えて頂きました。
そのお母さんは、お子さんの非行のことで、カウンセリングに見えました。
カウンセリングの回数を重ねても、お子さんの非行は止むどころか、悪くなるばかりです。
私は、一向に変化の兆しがない話を聴くのが、辛く苦しくなってきました。
(カウンセラー失格ですね、私…)
それでもお母さんは、カウンセリングに見えるんです。
そんなある日、お母さんが、
「私、ようやくわかりました」
と言うんです。
私は期待して、「えっ、何がわかったの?」と聞きました。
すると、お母さんは、
「今の息子に何を言っても、変わらないということがわかったんです」
と言うんです。
(「何を今さら、そんなことは前からわかっていることじゃないですか…」)
と私は心の中でつぶやきました。
ところが、その日を境に、息子さんの非行が止んでいくんです。
息子さんがどんどん善くなっていくんです。
そして、長い長いカウンセリングも
終了を迎えました。
「ああ、お母さんは息子さんのことを諦めるために、長く辛いカウンセリングに通っていたんだな。諦めることによって、お母さんの心の中で、何かが明らかになったんだな」
と私は思いました。
お腹を痛めて生んだ子です。
母親として、子どものことを諦めることはできないじゃないですか。
当然、諸々の執着があるものだと思います。
でも、その執着に捉われている限り、悩みの元になかなか辿り着けないんです。
いったん諦めることによって、明らかになる。
そんなことを、お母さんから気づかせていただきました。
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