カウンセリングに見えるクライエント(相談者)さんの多くは、藁にも縋る思いや、
一刻も早く悩みや課題を解決したい思いでやってきます。
ソファに座るなり、戸板に水を流すように話し出す人もいれば、
黙って何も話さない人もいます。
そんな時、私はお茶をお出しし、
のどを潤してもらいます。
このことは、
「先ずは、一息ついてから、話を伺いましょう」
という私のメッセージなのです。
カウンセリングで大切なのは、本人の「気づき」です。
「気づき」を得るには、
「話している自分」と
その話を「聴いている、もうひとり自分」が必要です。
自分の話を、自分の耳で聞いている状態というものが必要なのです。
もうひとりの自分を意識するためにも、一息つくことが必要です。
そういえば、故 國分康孝先生は、カウンセリングを、ティーカップの紅茶に譬えたことがありました。
ティーカップに唇をつける行為は、カウンセリングの始まりを意味します。
口当たりの善し悪しが、その後のカウンセリングの善し悪しを決めます。
ティーカップのお茶を飲む行為が、カウンセリングの過程を意味します。
どんなふうに飲むのか。
それはクライエントと、カンセラーの関係性で決まります。
そして、呑み終えたカップを置く行為が、
カウンセリングの終了を意味します。
クライエントが美味しいお茶を飲めるかどうかは、カウンセラーの聴き方にかかっているわけです。
ちなみに、
ダージリン、アッサム、セイロンなどの紅茶の種類は、
カウンセリングの理論や、技法ということになりますか…。
そう考えるとカウンセリングというのも、オシャレで、楽しいもののように思えてきますね。
その日の気分や好みに合わせて、色々な手法を試していいのですから。
なんだか、私も美味しい紅茶を飲みたくなりました。
誰か、私の話を聴いて下さいませんか…。
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