カウンセラーに成り立ての頃、大事なところをちゃんと聴けてないことを悩んで、先輩カウンセラーに相談したことがあります。
(先輩)「カウンセリング中に、記録をとっているの?」
(私)「ええ、大事なことはメモをしたり録音しています」
(先輩)「これからは、一切記録をとることをしないで聴いてごらん」
(私)「えっ、……」
(先輩)「記録をとらない方が、大事なところをちゃんと聴けるようになるよ」
その時は半信半疑でしたが、一切記録をとらず聴いてみました。
そうしたら、、大事なところをちゃんと聴けるようになりました。
なぜだと思いますか?
カウンセリングは、クライエントとカウンセラーが創り出す、精神的なドラマです。
カウンセリンングを始めてみなければ、そのドラマがどんなふうに展開するかは、全く予想もつきません。
だから、メモや記録をとることにしたのですが…。
メモや記録をとることで、私の心の中に安心感が芽生え、話を聴いているようで聴いていなかったようです。
つまり、ドラマにちゃんと参加していなかったのです。
それが、まずかったのでした。
そういえば、ソクラテスもイエスもブッダも
自分の教えを記録(文章化)として残しませんでした。
三人の死後、
ソクラテスの教えはプラトンによって、
イエスの教えはペテロやヨハネによって、
ブッダの教えは弟子によって、
著作や聖書や経典として、文章化されました。
さきほど、私は、
カウンセリングとは、クライエントとカウンセラーで創り出す、精神的なドラマと表現しました。
次元が違うかもしれませんが、ソクラテスやイエスやブッダが説いた、思想・哲学・宗教における精神的ドラマも
記録(文章化)から捉えることは、難しいものだったのかもしれません。
記録として伝わるものよりも、体験として伝わるものこそが大事だった。
人間と人間が関わることによって伝わっていくものこそが、記録よりも、大切なものだと考えていたのではないか?
なんだか、話が難しくなってきたので、このへんで。
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