知恵や哲学よりも「人情」に救われる

 
私が子どもの頃に住んでいた家は、長屋で(若い人は知っているかな…)共同の井戸がありました。
 
その井戸で、長屋の住人は、野菜や茶わんを洗ったり、コメをといたりしながら世間話に花を咲かせていましたね。
 
隣近所での、味噌や醤油や米の貸し借りは(このことも、若い人には理解不能かも…)日常茶飯事でしたよ。
 
人情長屋といった感じですかね…。
 
 
うーん、どういう世界かというと、フーテンの寅さんの映画の世界ですかね…。
 
 
 
フーテンの寅さんと言えば、いくつか忘れられない映画のシーンがあるんですよ。
 
「寅次郎純情詩集」(第18作)での、マドンナの綾(京マチ子)と寅さんの会話です。
 
綾は不治の病で、自分の死が近いことを知っています。
 
 
 
「寅さん、人間ってなぜ死ぬのでしょうね」
 
 
「人間、うーん、そうねえ、まァ、結局あれじゃないんですかね。
 
まァ、こう人間が、いつまでも生きていると、あのー、丘の上がね、
 
人間ばっかりになっちゃう。……。隅っこに居るやつがお前、
 
どけよと言われて、アー、アーなんて海の中へ、……。結局、
 
そういうことになっているんじゃないですか。昔から、まァ、
 
そういうことは考えないほうがいいですよ」
 
 
「やだあ、寅さんったら」

 
 
いかがですか。
 
綾の「人間ってなぜ死ぬのでしょうね」という問いに、
 
あなただったら、どうこたえますか?
 
 
綾の問いは、哲学的、宗教的で
 
彼女の気持ちに応えるのは難しいですね…。
 
 
ところが、寅さんは、人情の機微で
 
彼女の気持ちを温かく包んでしまいます。
 
 
そんな寅さんみたいな人間が、昔の町の中には見られたものですが…。
 
えっ! フーテンの寅さんみたいな人が、家や親戚にいたら困るですって?
 
それはまあ、ごもっともですが。
 
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました