大学で講義(教育カウンセリング)が終了後、学生さんから個人的な質問を受けます。
質問には、答えられる質問と、答えられぬ質問があります。
たとえば、答えられぬ質問に
「私、カウンセラー目指そうと思うんですけれど、向いているでしょうか?」
というのがあります。
その人と講義を通してしか会っていませんし、
第一、私自身が、カウンセラーに向いているのか自信がないんですから、答えようがありません。
しかたがないので、
「どうして、カウンセラーになろうと思ったの?」
と聞くと、
過去に不登校やいじめや、虐待などの経験があるから、と答える人がけっこういます。
自分と同じ経験をした人の気持ちに、立てるということでしょうか…。
たしかにカウンセリングは、相手の気持ちにある程度、寄り添うことが必要になります。
ただし、「ある程度」です。
相手の気持ちに寄り添い過ぎると、自分の感情と相手の感情の区別が、つかなくなるときがあります。
自他の区別がつかなくなると、相手に成り代わって、相手の課題を解決しようとします。
相手の気持ちよりも、
自分の気持ちを優先しようとします。
相手を理解するより、
納得しようとか、相手に納得を求めようとします。
相手の感情を受容・共感できないときに、
自分を責めます。
受容・共感できな自分を、
受容・共感することも大切なことなのですが…。
来談者中心カウンセリングの創始者ロジャーズは、
あるがままに相手の感情を受け入れる(受容)ことや、相手が感じているように感じる(共感)ことよりも、
自分の感情に正直である(自己一致)こそが、一番大切だと言っています。
ですから、私は学生に
「あなたがカウンセラーに向いているかどうかは、私にはわかりません。
私にわかることは、カウンセラーは自分の感情に正直であれということです」
と答えるようにしています。
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