昨日、カウンターバーでこんな光景を見ました。
二人の男性が、何やら話をしています。
どうやら、会社の先輩と後輩のようです。
後輩が先輩に、仕事の不満を言っています。
その先輩と思われる男性は、うなづきながら、辛抱強く聴いています。
その後輩の凝り固まった心を、やさしくほぐすように聴いています。
なんだか、観ている私の心も、温かさに包まれるような感じを受けました。
「善意ほど怖いものはない」という諺があります。
以前、友人に悩みを相談した時がありました。
そのとき私は、激励され、助言されました。
友人は、私のことを思って、良かれと思って、そうしたのでしょうが、
私は、かえってプレッシャーばかり感じてしまいました。
↓↓ その時の、私の気持ちは…
落ち込んでいる時は、
黙って傍にいてくれるだけでいい。
頭にきている時は、
黙って話を聴いてくれるだけでいい。
私の気持ちにおかまいなく、
良かれと思って、
あなたの気持ちを押し付けないでください。
あなたは、私に
「変わらなくちゃ、ダメだよ」と
言いますが、
そんなことは、わかっているんです。
変わりたいけど、なかなか変われないんです。
変わることは、怖いんです。
…といった感じですかね。
落ちこんでいる時と言うのは、心が傷ついています。
心が傷ついている時というのは、なかなか行動ができません。
𠮟咤激励をされても、辛いだけです。
傷ついている時に必要なのは、安心感や、安らぎといったものではないでしょうか?
立ち向かうのは、充分に休んでからでいいハズです。
もし私が、腕や足を骨折していたならば「がんばって動くんだ!」と励ます人はいないと思います。
ですが、心については、傷ついている時に「もっとちゃんとしなくちゃ駄目だよ!」「がんばるんだ!」というふうに、𠮟咤激励をしてしまう人が多いです。
これは心というものが、見えないためなんですね。
見えないために、心を軽んじてしまう人がいるのです。
心は見えませんが、傷つきだってしますし、病気にだってなるもの。
軽んじれば、軽んじただけの報いが、後から反動となってやってきます。
見えないからこそ、大切に、大事に、扱いたいものですね。
コメント