教育熱心な教師ほど、「忠告」することが好きなものです。(先生、ゴメンなさい)
それに反して、カウンセラーはほとんど「忠告」をしません。
今、仮に、学校に行きたくても行けない子どもがいるとしましょう。
その子どもに対して、学校の先生、お医者さん、カウンセラーは、それぞれどう思うでしょうか。
学校の先生は、
「学校に来れない理由は何だろう」
「なんとかして、学校に来れるようにしたい」
と思います。
お医者さんは、
「この子は何故、学校に行けないのだろう」
「学校に行けない原因があるに違いない」
と思うかもしれません。
カウンセラーは、
「この子にとって学校に行けないことに、どんな意味があるのだろう」
と思うでしょう。
その子に対する、三人の思いを詳しくみてみると、
学校の先生の見かたは
「観る」 → 問題点を調査、面接し、理由を考え、忠告、助言、指導をする。(目的思考)
お医者さんの見かたは
「診る」 → 症状を問診して検査し、原因を探し、治療を通して症状の除去、弱体化、緩和に努める。(原因思考)
カウンセラーに見かたは
「看る」 → その人の自己治癒力を信じながら話を聴き、その人の変容・変革を見守る。(自己実現思考)
…と、このようになります。
同じ事実(不登校)を見ても、立場の違いによって、見かたも、アプローチも違ってきますね。
そして大事なことは、その子が今、誰を必要としているか、誰がその子にとって有効か、を考えるということになります。
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